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横浜市金沢区の産婦人科、迫田産婦人科の医院ブログ

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迫田良一、61キロ

甲状腺機能亢進症・低下症、糖代謝異常

これは、一昨年、本当にあった、こわ~いお話です。

今思えば、よく水を飲んでいた。ゴルフ場で1ホールごとに水をがぶ飲みしていた、その時は気にも留めなかった。 体は痩せていった、3日に一回は練習場に通っていたから、そんなものだろうと思っていた。

ズボンのベルトは穴を新しく作らないといけなくなっていた。今年に入ってからゴルフは休憩した、でも、体は痩せていった、なにかが起こっているとも思はなかった。城ヶ島で写真を撮った、それを見た義理の母が、「良一さん痩せたわね」と言った。あらためて鏡でよく見ると確かに痩せていた、が、まだ気に留めなかった。

これは異常だと認識するようになったのは4月頃からである。癌を疑った、胃が時々痛いから消化器系か?時々咳をするから肺か?はたまた膵臓か?しかし、癌になって体重がこれだけ落ちると初期ではないなと思った、進行癌だな~と思った。患者から、先生痩せましたね~とたびたび言われるようになった。だが、休むわけにはいかない、他人にこの医院を任せられない。 こんな俺でも頼りにしてくれる患者がいる、覚悟を決めた。 人間死ぬ時は死ぬ、これも俺の運命なのだ、そのときが来たと思った。

後のことを考えた、子供のこと、女房のこと、大丈夫、俺がいなくともやっていけるはずだと思った。体重はすでに11キロ落ちていた。 全身倦怠感が出てきた、疲労が取れなくなっていた。 腕、太もも、首、明らかに細くなっていた、鎖骨が浮き出ていた、肋骨が何本もみえた、ひざから下にむくみが出るようになった、頻繁に下痢になった、動悸が激しくなった。睡眠障害も出てきた、自分の動悸の音で眠れなかった、夜中恐ろしいようにジュースを飲んだ、無理がきかなくなっていた。朝起きて顔を洗い歯を磨くのでさえ体がしんどくなり、診療も30分やると休憩したくなった。 100メートル歩いても動悸がはげしかったし、まっすぐ歩くことさえ難しくなっていた。

或る時、診察中、手が震えるのに気がついた、コップを持つ手も震えていた。 それからはたと気づいた、両腕をまっすぐ前につきだしてみた、案の定、手先が震えていた。女房も甲状腺機能亢進症だった、その弟もそうだった。 血液検査をした、結果は思ったとおり重症の甲状腺機能亢進症だった。 すぐに内服を開始した、動悸は7日でなくなり、みるみる全身状態が回復するのがわかった。 まるでポパイがほうれん草を食べるように元気になっていった。

体重も元にもどりつつある、筋肉もつきだした、健康に感謝した。働けることに感謝した。代謝性疾患、たとえば糖尿病、甲状腺機能亢進症、低下症などはさまざまな症状が出ます。私の場合、体重減少、動悸、のどの渇き、しつこい下痢、筋力の低下、むくみ、手の振るえ、不眠、精神症状、これが半年のあいだに出現しました。医者の不養生ですが、自分の体を客観的に見る難しさを思い知らされました。

2013-06-18 17:20:00

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日曜日の死闘

日曜日の死闘

かけがえのない命の誕生

あの事件はきっと忘れられないだろう。生死の闘いがおこなわれたあの日曜日の夜のことを。
あれは、まだ寒い冬の日曜日の夜だった。9時過ぎだったろうか?
病院の電話が鳴った。日曜日の夜のことである。
日曜日の夜といえば、いつもより早めの風呂にゆっくり入り、明日から始まる1週間の為にエネルギーを蓄え、様々なスケジュールを練る、またある時は、期待どおりにいかなかった週末を悔やみ、ふーっと溜め息でもついている、そんな時間帯ではなかろうか。
そんなふうに私は家でテレビの前に座っていた。その時に電話は鳴った。
ちなみに、私の場合、休みは木曜日であるため、日曜日のあの一種独特な不完全燃焼感はない。しかし、それでも日曜日の夜は、一週間の中でも最も静かな時間帯であるし、自分を見つめ直したりする、そんな時、の病院の電話であった。
一瞬緊張が走った、日曜日のこの時間帯の電話には要注意である。これは医者になってから身に付いた勘とでも言うのだろうか、嫌な予感がした。電話にでるのを一瞬ためらった、しかし義務の如く受話器を耳に当ててみた。電話の主は女性だった、つまり患者からだった。病院への電話の場合、患者本人からと、夫を含めた家族からかかってくるが、患者本人からかかってくる場合緊急を要するケースは割と少ない。ま、例外もあるが・・・・。
今回の電話の向こうの患者の声は比較的冷静であった、私は少しホッとした。これはあまり慌てなくてもよいなと思った。
その患者は自分の名前を名乗ったが、私はすぐにはそれを思い出せなかった。妊婦であった、お腹が痛いと言う。その口調からは切羽詰まった感じは無かった。ただ、ちょっと気になった、普段なら、「明日来てください」で良いのだが。私は何故か、「あ、そうですか、じゃ~、1時間後にまたお電話ください」と答えた。今になって思えば、この一言が全てを決めた。
電話を切った後も、患者の言葉が気になった。どんな患者だったかやはり、思い出せなかった、しかし、電話でのやりとりから、自分の今の状態を冷静に話していた。私は、逆にその冷静さが気になった、電話の声は申し訳なさそうにしゃべっていた。もし症状が進行すれば、途中で電話がかかるだろうと家の中で、ちらっと時計に目をやりながら待った。しかし、すぐには電話はかかってこなかった、痛みは治まったのかもしれない、私のアドレナリン分泌は急激に低下していった。そして、1時間ほどが経った。
再び電話が鳴った、同じ電話番号からである。うん!?、良くなってないのか、それとも、もう心配ありませんということか。私は少しためらいながら電話に出た。その声からは明らかに痛みが増していることが伺えた。痛みがどんどん強くなり、しかもその回数が多くなっているらしい。すぐに病院に来るように伝え、あわただしく寝巻きを着替え車に乗った。幸いにも酒は飲んでいない、車を運転しながら、あれこれ考えた、どんな患者なのかまだ思い出せない、どうも妊娠30週のようだ、妊娠30週、ひどい腹痛、胎盤剥離か?まさか陣痛?
病院に着いてからもあれこれ考えた、それから約20分程経っただろうか、その患者は現れた。ご主人と小さな男の子も一緒だった。ああこの人か!!この患者は何もなかった筈だぞ、私としてはマーク外だった。
マークというと聞こえが悪い、しかし実際、われわれ医者は日常の診療の中で患者さんをリスク分類している。かなり差し迫ったケース(患者さん)は頭に叩き込んでいる。それは産科だけではなく婦人科の患者さんも同様であるが、特に産科の患者さんは初期、中期(安定期)、後期と様々なことが突発的に起こりえる。
例えば、私は妊婦の妊娠初期の旅行を厳しく制限している。何故か?私はかつて山口県の萩で働いたことがあ。萩は御存知の通り、観光のメッカで観光客が多い、特に女性に人気のスポットである。そこで勤務していて、旅行中の妊婦さんの出血や子宮の疼痛(切迫流産・切迫早産)が多いことに驚いた。旅行は気の緩みや開放感、移動時間の長さ、夜の睡眠不足、慣れない環境、それらからくる極度の便秘や疲労等が、妊婦さんに性器出血や下腹部の疼痛などをひきおこす。このいくつもの経験からそう指示している。
このように、妊娠というのは何が起こるかわからないから、既往歴、前回の妊娠暦、分娩暦、合併症、などを考えカルテにそれとなくマークの印を書き加え、注意している。仮に最悪のケースが起こっても生命の危険というリスクは避けなければならないから。
話は戻る。
その患者さんは苦痛に顔をゆがめ、お腹を押さえており、私は、すぐに内診台にあがるように言った。疼痛のため声が出ていた。電話のときよりも更に痛みが増しているようだった。内診台に上がる時、その患者は“出そうなんです”と悲痛な声で叫んだ。その一言で全てが分かった。陣痛だったのである。内診すると胎胞(羊水を含む卵膜のことで、一般には児頭が下がってきて、子宮口が開いている時に見られる。分娩近しのサインでもある。)ができており、いままさにそれが破れんとする状態だった。妊娠30週である、私はすぐにこの地区の基幹病院に連絡をとった。その間にも痛み、いや陣痛は強くなっていて声が大きくなり、私に助けを求めた。その病院の医師に事情を話すと、母体を受け入れる病院を探すので電話をいったん切って待ってくれと言う。心の中で“このドアホ、待てるか”と思ったが、“お願いします”と私は言った。再び内診すると児頭がすぐそこに触れた。このまま連絡を待つには状況が悪すぎる、児頭が下がったままのこの状態が続けば児に与える影響は大きい。私は医者になってからのいろいろなことを思い起こした。それはほんの短い時間であったが。
私は、自分が情けなかった、明らかに逃げ腰だった。過去の様々なお産を思い出し、覚悟を決めた。すると不思議に冷静になり、勇気と力がわいてきた。今、目の前の患者は苦しがっている、いやそれ以上に小さな生命は危機にさらされている。必死にやればなんとかなる、いや絶対助ける、そう心に叫んで、“コッヘル”とスタッフに言った。
コッヘルとは手術に使う器具であるが、分娩の際に卵膜を破るためにも用いる。いよいよこの小さな生命を誕生させる。そのスタッフは一瞬、エッ?という顔をしたが、すぐさまその器具を取りに行った。彼女の緊張もピークに達しているのが分かった。
今日、たまたま、救急車で性器出血の妊婦を、とある病院に搬送した。
午後来院された患者さんには申し訳ないことをしました。1時半前に当院を出発し2時前にその病院に到着し、そこの医師に診て貰い入院となった。当院に再び戻ったのは3時半前であった、患者さんが10名ほど待っていてくれた、有り難かった。朝から食事を摂っていなかったが、昼飯も食わずに、そのまま午後の診療に入った。待っていてくれた患者さんに元気をもらった。本当にありがとうございます。 私は、卒業後、大学病院に半年勤務し、関連病院に赴任した。そこは小児科がなく、新生児の対応も我々産婦人科がおこなっていた。そこで新生児のイロハを学びました、ここでの経験は私の新生児救急治療の基礎となった。このベビーはどのくらいの管理が必要なのか?ここで診ていて大丈夫か?すぐにも救急搬送しないといけないのか?新生児の病態は独特で、さっきまですこぶる元気だったのが突然激変する。一瞬の判断ミスが取り返しのつかないことになる。
その病院で病院当直をしていた時だった、近くの小児科の先生からの紹介で発熱の幼児の点滴治療を依頼された。早速点滴の治療を開始したが、どうも様子がおかしい。発熱だけのせいなのか?どうも気になる。そこで小児科を持つ基幹病院に連絡をとり、救急車でその子を搬送した。
そこの小児科医は淡々と診察し、病棟に入院の指示をした。私は礼を言い病院に戻った。それからしばらくしてその小児科医に会った、すると私を見るなりその小児科医はすっ飛んできた。“先生ありがとう、あの患者ライ症候群だったよ、血液検査をしたらとんでもないことになっていて、もう少し遅かったら危なかった、先生ありがとう”と興奮気味に話した。なんかおかしい、様子が変だ、ちょっと違う、このセンサーは医者にとって最も重要である。

2013-06-18 11:28:56

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常位胎盤早期剥離 (じょういたいばんそうきはくり)

常位胎盤早期剥離(じょういたいばんそうきはくり)

自分を信じてみれば

自分を信じてみれば常位胎盤早期剥離簡単に言うと、常位胎盤早期剥離(早剥)とは胎盤が児娩出の前に剥がれてしまうことである。

通常のお産は、先ず赤ちゃんが娩出(分娩)され、その後胎盤が出てくるわけです。
この胎盤が出てきて分娩は終了となるわけです。

常位胎盤早期剥離とは赤ちゃんの娩出の前に、胎盤が子宮の壁から剥がれてしまうことです。

胎盤が子宮から剥がれれば、赤ちゃんへの酸素の供給は減少し、生命が危うくなります。また、胎盤と子宮の間で出血がおこり、この出血がさらに種々のメカニズムにより、出血を止めにくくする出血傾向を引き起こします。この出血傾向が起こると母体は危機的になります。つまり、常位胎盤早期剥離とは、赤ちゃんばかりではなく、母体の生命を脅かしかねない危険な状態なのです。

症状は腹部全体の激痛です、陣痛も痛いですが、比べ物になりません。痛がりかたが尋常ではないことにより、超音波断層法により診断します。

私の記憶にもこの常位胎盤早期剥離は数例ありますが、一番記憶に残っている症例を紹介します。

そのとき私は、ご他聞に漏れず、大学の医局人事で関連病院に勤務しておりました。週末には月に1~2回ほど大学から応援にきてもらっており、月に3,4日は自由な時間を満喫していました。

ある時、その応援の後輩医師からポケットベル(その当時、もちろん携帯はありませんでした、ですからベルが鳴るとドキッとしたものです。今は幸せですね。私の先輩などは泳ぎに出かけていて、ベルを海岸において泳いでいたものですから、ベルの音に気づかず、海水浴客から大声で知らせてもらい、血相変えて病院に駆けつけるなんてこともあり、まさに水もしたたるいい男でした。) が鳴り、陣痛が始まっている患者の胎児心拍モニターが妙だとのことでした。

急いで病院に戻りそのモニターを見ると確かにおかしい、20分ほど観察していたが胎児の元気がない、超音波断層法でも同様の所見だった。状況を患者、家族に説明し、緊急の帝王切開を決めた。

手術は順調で、児も小さいが元気であった、あのモニターはなんだったのだろうと、その後輩と話していると、まさに胎盤の異常に気づいた。

胎盤の子宮側に血種(血液の塊)が広い範囲に付着していた。常位胎盤早期剥離だったのである。二人で、帝王切開にして良かったですね~と安堵していると、そこからまさに教科書通りのことが起こりだした。出血傾向である、そこからは正に死に物狂いだった、出血を止めるための針穴から更に出血、それを止めようとするとまた出血。骨盤内は血液であふれ出した、血圧が下がってきた、やばい、死ぬかもしれない。手術中に死なすわけにはいかない。

しかしながら、神は存在するものだ、必死に圧迫止血をし、輸液、輸血を繰り返していくと血圧も上昇し出血傾向もおさまった。あわただしく、かつ慎重に閉腹し手術を終えた。術後の経過も良く母児ともに元気で退院した。

ここで、後輩の有行先生に感謝を述べたいと思います。麻酔、手術、全てを私と彼との二人でおこなった。その後、一回だけ彼と会う機会があったがそのことを懐かしそうに話した。しかし、彼はそれから違う道を歩んでいる。あんなに優秀な産婦人科医だったのに、残念でならない。今後の活躍を期待しています。

常位胎盤早期剥離の原因は、妊娠高血圧症候群、羊水過多、外回転術、子宮内胎児発育遅延、腹部への打撲などが考えられますが、原因不明も多いようです。

ちなみに、分娩が急速に進行して、病院に着くまでの車の中で赤ちゃんが生まれる、こういったケースは稀ですが、有り得ます。この時に大切なことは、赤ちゃんの保温です。タオルを巻いて保温してあげてください。それから、臍の緒はそのままにしておいてください、無理に引っ張ったりしてはいけません。無理に引っ張ると臍の緒がちぎれたりします。パニックにならずに、冷静に、保温に注意してください、車のエアコンの温度を上げましょう。それから心のゆとりがあれば、自分の下腹部(おへそから下)をマッサージしてください。これは胎盤の娩出を早めますし、出血量を減少させます。

更に付け加えると、妊娠中はお腹が苦しいとかお腹が張るといったことがありますが、この時には子宮をさすってはいけません。子宮が収縮しかえって逆効果です。そういう時には、よしよしといった感じで手の指の腹で優しく子宮を触りましょう。

2013-06-18 11:27:30

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ブライダルチェックと妊娠

ブライダルチェックと妊娠

妊娠が分かってからでは遅すぎることも、定期健診は必要です。

ブライダルチェックとは、結婚前に、これから人生を共にする二人が健康に過ごすために行なうメディカルチェックのことです。女性の場合は、将来の妊娠を踏まえた検査が必要になります。

内容は性感染症、婦人科良性疾患(子宮筋腫、卵巣腫瘍)、子宮奇形、子宮がん検診、更に、肝炎チェック(B型、C型)、肝機能、腎機能、貧血、血液型、糖尿病、血圧、風疹の抗体検査などがあります。 私見ですが、結婚年齢が上がってきているせいか、妊娠の診断と子宮筋腫や卵巣腫瘍などの診断を一緒にするケースが増えてきています。妊娠という喜びの中、子宮筋腫や卵巣腫瘍の病名を告げなければならない時は非常に複雑な思いをします。
子宮筋腫を合併した妊娠の場合、流産早産のリスクが高まります。あくまでもリスクの問題ですので、何も無く正常に分娩される方も多いのですが。また、妊娠中の筋腫は変性をきたし、疼痛を起こすことがあります。
この疼痛はかなりのもので、妊娠中ですので痛み止めを使うわけにもいかず、やむなく手術(筋腫核出術)をしなければいけないケースがあります。
分娩の際も、筋腫のできている場所によっては胎児の下降が進まず、帝王切開を選択せざるを得ないことがあります。更に、分娩後は子宮収縮が不十分となることもあり、出血量が多くなることもあります。

妊娠と卵巣腫瘍の合併もよく見られます。卵巣腫瘍の場合は、それが良性なのか悪性なのかの診断が先ず必要ですが、卵巣の場合その診断は子宮に比べ難しいのです。妊娠していなければCTやMRIなどの画像診断が可能ですが、妊娠していると胎児への影響を考え積極的には行なえません。

子宮癌検診も今や20代から積極的に行なう時代です。20代の子宮癌が増加しており、妊娠中に初めて子宮癌検診を行なうということは避けて欲しいと思います。 今まで述べた婦人科疾患はあるいは検査は、妊娠する以前に定期的に行なうことが必要です。妊娠と同時にそれらの疾患を診断されるのは肉体的にも精神的にもかなりの苦痛だと思います。
産婦人科は敷居が高いです、でもそんなことは言っておられません。明らかに、婦人科疾患は増加しており、発症年齢が若年化しております。

ブライダルチェックいや婦人科チェックを1年に一回は受けてください。絶滅危惧種の中年男性産婦人科医からの切なる願いです。

2013-06-18 11:26:25

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咲ちゃん

咲ちゃん

時計台

咲ちゃんは、平成15年5月30日に生まれました。 妊娠39週、予定日より1週間早く生まれました。その時の体重は2,686g、身長は46cm、非常に元気の良い女の子です。

その日の朝9時ごろ、外来診察中に電話がありました。咲ちゃんのお母さんからでした。咲ちゃんのお母さんは里帰り出産のために、3月末から実家に戻っているはずでした。

私はその時、一瞬何か言いようのない不安に駆られました。なにかあったのだろうか?分娩が近づいている妊婦さんからの電話はドキッとさせられます。恐る恐る電話に出ると「あ、先生、生まれました。」「え?・・・いつ~?」「つい、さっきです。」「えっ、さっき?」「はい」さっきもさっき、なんと、咲ちゃんのお母さんは分娩後3時間しか経っていないのに、わざわざ病院から電話をかけてきてくれたのです。電話の声はとてもお産が済んだばかりの人とは思えない位元気で生き生きとしていました。お産が楽だったこと、分娩時間が非常に短かったこと、元気な女の子だったことなど話してくれました。

電話ではもちろん表情は分かりません、でもどんなに喜んでいるかは分かりました。わざわざ電話をかけてくれたことに感激し、無事お産が済んだことに安堵し、また、お子さんが元気であることにホッとし、私は喉が詰まってしまいました。

お母さんの気持ちが良く分かるからです。お母さん、ここまでの道のりは大変でしたね。私は分かっていますよ、お母さんが何度となく泣いたことを、何度となく絶望しかけたことを。でもあなたはやり遂げた、あなたはやっぱり強かった。

思い起こせば、あれは3年前の春、お子さんができないということで来院されました。それからは辛い検査や治療の連続でしたね。基礎体温をつけることすら苦痛な日もありましたね。注射のせいで肩が腫れあがったこともありましたね。お腹の大きい人を見るのが辛かったこともありましたね。なかなか妊娠に至らないので、私もあなたの顔を直視できないことも時々ありました。

そうして、平成14年9月27日に、妊娠されていることが分かりました。あなたはもちろん喜んではいました、けれども過去に流産の経験をされているので、手放しには喜べませんでしたね。つわりも、軽い日があれば重い日もありましたが、軽ければ流産じゃないかと心配し、重ければ赤ちゃんに異常があるのじゃないか心配と、不安の連続でした。それから1ヶ月位経って、ようやくあなたも私も自信がでてきましたかね、今思えば。その後は、膀胱炎や貧血になったぐらいで本当に順調すぎるぐらい順調でした。そしてあなたは里帰り出産のために横浜を離れました。それからもあなたのことを折に触れ思っていましたよ。

今年の5月(平成16年)、1歳になった咲ちゃん、お母さん、お父さんの三人でわざわざ来ていただきました。久しぶりに見るあなたの顔は、お母さんの顔でした。とっても優しくて、自信にあふれていました。そして、咲ちゃんがお父さんそしてお母さんにあたたかく包まれていました。帰り際にお父さんが一礼されました。私は、おめでとう、よかったですね、頑張ってくださいと頭を下げました。

咲ちゃんの名前は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の咲からいただいたそうです。 木花咲耶姫はユニー(金沢文庫駅近くのスーパー)の裏手にある手子(てこ)神社の祭神であります。木花咲耶姫はもうもうと燃え盛る炎の中でお産をされたそうです。何にも負けない強い子になって欲しいとの御両親の願いからつけられました。

2013-06-18 11:24:58

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レッドロブスターと白い杖

レッドロブスターと白い杖

沖縄

先日、新しく事務員になった若いスタッフと食事に行った。何処が良いか迷った、最初は鎌倉にある、よく使っている店の会席にしようかと思ったが、年齢を考慮し今回は湘南のレッドロブスター店にした。気に入るか心配した。 

仕事を終え車で出かけた、平日の夜の湘南は週末と違い道路も込んではいない、予定より早く到着した。別に予約は取っていなかった、が席も空いていて、すぐに座ることができた。 

メニューが多いのでなんにしようか少し迷ったが、いつも食べているものを彼女の意見も聞かずに注文した。彼女は好き嫌いがないと言った。サラダ、ロブスターのピザ、スープ、肉、蟹、デザート全て美味しかった。特にピザとロブスターは絶品だった、彼女は少々緊張しつつも、私の食べるスピードに追いつくように全てをたいらげた。 

これには私も驚いた、女性には少々多すぎる量だったからである。おそらく彼女は残すのは申し訳ないと思ったのだろう、私はその彼女の気持ちが嬉しかった。多分、私は何十回も彼女にこう聞いた「美味しかった?」、彼女は恥ずかしそうに何度も「はい、ありがとうございます」と答えた。 

横浜に来て5年、聞けばロブスターは初めてらしかった、となりにいたうちのスタッフが「えー、そうなの」とびっくりしていた。しかし考えてみれば私だって始めてロブスターを食べたのはおそらく30代の頃だったから彼女のほうが進んでいるのかも。 

純粋な若者との美味しい食事、決して豪華ではないが心が豊かになる食事を終えその店を出た。帰りは湘南海岸沿いの葉山経由にした、気分が良かったし、彼女は海が好きだからだ。 

家の近くまで送っていき彼女はそこで車を降りた、それから私は車をユーターンさせた、その瞬間、暗い路地を白い杖を突きながら歩く男性が目に入った。その男性は年齢がおそらく30代位だろうか、背をちょっとまるめて夜道を一人歩いていた。私は何故か「頑張れ」と心で叫んだ、そして不思議なことに目頭が熱くなった。純粋な若者、そして白い杖の男性。頑張って、そして負けるな。 

2013-06-18 11:23:36

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大黒柱

大黒柱     母へそして妻へ

札幌

家族の中の母親の立場とはどんなものであるかと考えてみると、さまざまなことがある。

複雑な社会になればなるほど、家族という一番小さな集団は、ともすれば今まで経験したことがない荒波を受けることがある。

そして、その荒波上手くかわすことができれば、家族の絆は更に深まり、家族の一人一人がこれまた成長していく。

しかし、不幸にもその荒波に呑み込まれてしまったときには、家族という集団は崩壊しバラバラになっていく。家族とは、そういう危険性を常にはらんでいる。

その荒波の主たる原因は父親であったり、また子供であったりする。そして、母はその荒波を一番多く受けることになる。夫は妻の助けを必要とし、子供は母親にすがる。 そのたびに、母は苦悩し、さらに逞しくなっていく。

 

母の愛は永遠であり、深い。その愛は何物にも代えることができない。人は誰でも、少なくとも一生に一度は、母のひたむきな生き方を尊敬し、感動し、涙する。

母は、強くなければならない、優しくなければならない、忍耐強くなければならない、寛容でなければならない、そして、なによりも健康であらねばならない。

しかし、母は我慢強い、そのために病魔に侵されてもなんとか一人で乗り切ろうとする。 結果、病状が進行していく。 病院の門を叩いた時には手遅れになっていたりすることがある。

これは私が幾度となく経験したことである。

夫は私の手を取りこう云う 「先生、何とかしてください、助けてやってください。家内には迷惑のかけっぱなしで何一つ楽しい思いをさせてあげられなかった。お願いです、助けてやってください、一生のお願いです。」

そして、夫は看病につく、しかし、そのあまりの優しさ故に、妻は自分の病状を察知する。

それでも、家のベランダの鉢植えに心し、夫の仕事や健康に心する、子供の進学、結婚に心する。

母は偉大である。あまりにも偉大であるが故に、母を失った時の心の痛みは計り知れない。

母は健康であらねばならない、一日でも永く生きなければならない。

2013-06-18 11:22:05

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ある麻酔科医

ある麻酔科医

金沢

今から10年前。

後ろから怒鳴る声が聞こえた、“お前、何を言っているのかわかっているのか”。

病院の廊下に響き渡るような大きな声で、私の上司は怒鳴っていた。

先ほど、病棟会議があったばかりである。出席したのは、産婦人科医、産婦人科担当看護師、助産師、それと麻酔科医であった。

私が勤務しているこの病院の昨今の分娩数の減少は憂慮すべきものがあった。医師、看護師、助産師、みんな分娩数の減少に歯止めをかけるため必死に働いていた。

中国地方の田舎のこの都市は高齢化が進み、若い人の人口比率が減少していた。当然、分娩の数もそれに比例して少なくなっていた。企業努力といってもいいだろう、みんな頑張っていた。しかし、若い人が少なくなっていくのはどうしようもなかった。広報活動、様々なサービスなどあらゆる手を尽くしてはみたが効果はあまりあがらなかった。

日本の経済がまさに中央集権化していく狭間の中で地方はその存在意義を失いつつあった。若い人は故郷に戻らない、いや戻りたくても仕事がない。親、自らが子供にUターンを押し留めるようになっていた。地方は高齢化が進み、子供が少なくなる、人口の偏在化が顕著になっていた。

若い女性の田舎離れにより、分娩数は減少の一途を辿り、スタッフ全員がどんなに頑張ってもそれを食い止めることはできなかった。

そんな中、ある案が持ち上がった。それは、和痛分娩をやろうということだった。和痛分娩とはご存知のように、腰に麻酔をし、陣痛を和らげようというものである。その話は私の知らない間に進んでいた。

私は当時、産直(産科待機、分娩や救急患者を診る仕事。別に院内には居なくても良かった。何故なら、私の官舎は病院の目の前にあり、その距離も3m程しかなかった。当然、どの医師よりも病院の近くに住んでいた。)を月の半数以上こなし、かつ、病院全体の救急当直も月に数回やっていた。産婦人科医の異常な労働環境は別に今に始まったわけではない。地方では大都市よりも早期に分娩数の減少が始まり、病院内の稼ぎ頭であった産婦人科の地位は落ち、不足する産婦人科医師の補充もままならなくなっていった。

また、そういった現状を悟った学生たちの産婦人科離れも顕著になっていき、産婦人科医師数の減少が始まっていた。私の大学の教授はこのことに早期に気づき、県などに陳情したが無駄であった。

今日の産婦人科における様々な問題は実はもう10年以上も前からおこっていたのである。

和痛分娩をやるらしいという噂は私の耳にも入っていた、助産師達も私に“先生知っています?”とたびたび聞いてきた。よくあることだが、大事な話は、現場で働いている人間には一番後である。そして、大体、既に結論はでている。いわゆる、事後承諾というやつである。

和痛分娩に関して全否定するつもりはさらさらない。分娩が遷延し、陣痛で苦しんでいる妊婦さんをみるとこちらも耐え切れないことがある。そういったケースでは和痛も良いだろう。しかし、分娩、言い直せば、お産、は太古の昔からパターンは同じである。陣痛が発来しないと分娩は始まらない、この何時間にもあるいは何日にも亘る痛みがあって分娩が成立する。この試練を乗り越え女性は母となっていくのである。古いなー、女性蔑視じゃない?男の身勝手よ、先生も経験したら分かりますよどんなに辛いか、と声が聞こえてきそうですが。

助産師諸姉は自然分娩を好んでいた、手作りとでも言おうかそんなお産を是としていた。私も考え方は同じだ、医者がしゃしゃり出ることがないお産がベストである。薬など使わずに、古典的なお産が可能ならば最良である。故に、今回の和痛分娩の話には賛同するものが皆無であった。助産師諸姉の反発はそうとうなものがあったのである。特に私見ではあるが、分娩数アップを図るためのコマーシャル的な臭いがしていた。

そして今回の病棟会でその議題が出たのである。噂は本当であった。上司から経緯、目的、等の話があり、

麻酔科医からはさらに具体的な説明があった。ここでは詳しいことは省略するが、要するに、今まで以上に分娩管理が重要となるし、アクシデントも起こりえる。ここで誤解をされては困るので一言、今現在、和痛分娩をおこなっている施設は多い。ご苦労は容易に想像できる。私が勤めていたその病院でも既にやっていたし、私も硬膜外にて和痛を行っていた。しかし、対象は遷延分娩(分娩時間が長くなる)で疲労がはげしくなった場合とか、陣痛に対し恐怖を抱きパニックになる場合などであった。我々が本来やるべきことは、かっこつけるわけではないが、妊婦を励まし時には叱る事もあるが、一緒になって頑張ることが大事であり、それでも駄目なら麻酔を選択する、そういうことではないだろうか。

私は、その麻酔科医に食ってかかった、もう忘れたがほとんど喧嘩であった。しかし、彼は冷静であった。今思えば、どこかで私の気持ちを分かってくれていたような気もする。そして、私も彼の気持ちが痛いように分かっていた。お産というものがどんなものであるかということを、彼は私よりも知っていた。

これからお産をされる方に一言、お産はほとんどが特に問題もなく終了し、元気な赤ちゃんが生まれてくるものであります。心配かもしれないが事実です。しかし、中には厳しいお産もあります、これも事実です。厳しいお産にならないためにも、定期的に妊婦健診を受けてください。お願いします。

初めての妊娠の際は、みなさん注意深くかつ慎重に振舞われます。お腹の赤ちゃんが元気なのか?異常なく育っているのか?無事五体満足に生まれてくるのか?を心配されます。それでいいと思います。それが普通です。

私がその話を聞いたのはいつだったかは忘れた。

彼(麻酔科医)の奥さんは、分娩時の脳出血で亡くなっていた。彼は当時ICU(集中治療室)に勤務していて、奥さんは彼の病院に搬送されてきた。

懸命の治療にもかかわらず、奥さんは帰らぬ人となった。彼のそのときの気持ちは、痛いほどわかる、いや本当は彼にしかわからない。幸いに子供さんは無事生まれ、今は20歳を過ぎた。

私も同じような経験がある。人が死ぬということがどういうことか、残念であるが、母の死によって知らされた。母の死によって私は産婦人科を選んだ。

彼の和痛分娩に対する思いは非常に奥が深かったのである。それを私は充分知っていた。病棟会議の後、彼はいつもどおりに私に接してくれた。いつもクールで冷静沈着であった、そんな彼を今でも尊敬している。

疼痛に対し厳格な麻酔科医とお産に対しあくまで自然を好む産婦人科医、一緒に働けて幸せであった。今は彼がどこにいるかは知らない。だが、あのクールな男は更に凄みを増して働いていることでしょう。

そして最後に失礼な発言を謝りたいと思います。

辣腕麻酔科医へ

2013-06-18 11:21:22

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基礎体温及び基礎体温表

基礎体温及び基礎体温表

基礎体温は気楽が基礎です

今回は生理不順 (月経不順)や、不妊症でよく使われる基礎体温や基礎体温表について考察したいと思います。

いうまでもなく、基礎体温とは、体を動かさない安静時の体温です。測定するのは、朝、起床時、おおむね5時間以上睡眠をとった後がよろしいでしょう。

しかし、仕事の関係で就寝が不規則な方は、朝でなくても構いませんし、必ずしも同じ時刻でなくても良いと思います。あまり、かしこまっても長続きはしないものです。

また、几帳面な方によくある傾向ですが、基礎体温のわずかな増減に神経質になる方がいます。基礎体温は視野を広く持って観察すべきもので、全体の流れを把握することが重要なのです。仕事が休みの日などは起床時間がいつもより遅いために、ふだんより体温が高めになる傾向があります。また、お酒を飲んだ翌朝(お酒の量にもよりますが)などもいつもの体温と違ってきます。他にも体温を変化させうる要因は多いです。細かなことに気を使わずに、多少大雑把でもいいです。

日記をつける時もそうですが、最初から意気込んで、生真面目過ぎても、疲れるばっかりで途中で挫折してしまいます。気楽に、そして日記代わりにでもつけてみてはどうでしょう。続けることが大切です。

基礎体温はご存知のように、婦人体温計を使って口腔内で測定します。最近では電子体温計が主流になっています。一方、水銀体温計の場合は、測定に時間がかかるうえに、間違って噛んでしまい水銀が口の中に入ってしまうこともあるようです。

それから、ここが大切なのですが、基礎体温表にデータを記録し折れ線グラフにしてください。電子体温計にも記録されますがアバウトで読みにくく、全体像が分かりません。是非、体温表に書き写してほしいものです。体温表に記載すると自分の生活リズムが分かりますし、健康チェックにもなります。

基礎体温表は縦軸と横軸の比が決まっていますので、できれば薬局で購入していただくか、インターネットでダウンロードして正確な体温表に記録してください。基礎体温測定は長く続けることが大切ですので、リラックスしてやりましょう。

基礎体温は低温相高温相の2つの温度相に分かれます、これを二相性といいます。排卵があると卵巣から黄体ホルモンという女性ホルモンが分泌されます、この黄体ホルモンが基礎体温を上昇させるのです。ですから、基礎体温が上昇すれば排卵があるということになるわけですが、例外もあります。それは排卵をしていないのに、卵巣から黄体ホルモンが分泌されるケースです、これを黄体化未破裂卵胞といいます。このケースですと、当然妊娠は不可能です。この現象は時々みられます、超音波断層法で診断が必要です。

体温にはもちろん個人差があり、測定の際の状態にも影響を受けますのであまり神経質になる必要はないです。それどころか基礎体温を測定し始めると、排卵の時期が不定になったり、無排卵になったりするケースがあります。これでは本末転倒です、あくまでも、基礎体温はひとつの目安であり気楽な気持ちでやりましょう。

また、基礎体温の一番低い日が排卵日だと思っておられる方が多いですが、そうとは限りませんよ。基礎体温はあくまでも参考に過ぎないのです。

外来受診時に基礎体温をつけていなくても心配要りません、気軽に御来院ください。

2013-06-18 11:17:59

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十月十日    分娩予定日

十月十日(とつきとうか)分娩予定日

分娩予定日は最後の生理初日から280日目です。妊娠の月数はお月様の月です、お間違えのないように。

分娩予定日の決め方は、意外に知られていないようです。

実際、分娩予定日の話をすると、かなりの数の妊婦の方は、自身が思っていた日にちより早いことに驚かれます。えぇ~、早くないですかぁ~?!てな感じで。

 

十月十日(とつきとうか)、この概念で分娩予定日を想像されているようです。

 

分娩予定日は次のように算出されるのです。

すなわち、精子と卵子の受精(大体、排卵の翌日です)から始まって、受精卵が着床し、妊娠成立、胎児が成熟して、陣痛が始まり、赤ちゃん誕生までの日数がほぼ一定しております。この日数が266日です。週数で申し上げますと38週となります。

月経周期が28日型の人であれば、排卵は最終月経初日から14日目に起こりますので、14日+266日=280日。 つまり、最終月経の最初の日を1日目として280日目が分娩予定日になるわけです。

ただし、月経周期が28日型以外の人はこの算出方法は当てはまりません。また、月経周期が28日型の人でも排卵が早くなったり、遅くなったりすることがあります。実際にこれはよく経験することです。こういったケースの場合、いわゆる予定日の修正が必要になります。

ではどのように修正を行なうかといいますと、胎児の発育は、妊娠初期にはあまり差がありません。ですから、超音波断層法を用いて胎児の大きさを測定すれば、妊娠週数が分かりますので、そこから分娩予定日を決定するわけです。

ここで、胎児の大きさの測定でよく使われるのが頭臀長、つまり頭からお尻までの長さです。 他には、基礎体温なども参考にいたします。

ここで付け加えると、妊娠の一月(ひとつき)は28日なんですよ。決して30とか31日ではありません。妊娠の月はあのお月様の月なんです、英語で言うとmoon、決してmonthではありません。

また、妊娠の1週間は7日で、数え方は7進法です。具体的に言うと0日から6日までで、7日は0日になります。

分娩予定日はあくまでも予定日でしかありません。しかし、この予定日、および妊娠週数は大切なものです。胎児の成長や早産のチェック等にかかわってくるからです。

たとえば、お腹が張る、緊満が強い妊婦さんがいたとしましょう。妊娠も10ヶ月ともなると、おなかもあたりまえのように張って硬くなったりします。しかし、これが9ヶ月となると安静が必要だったり、お薬を飲まなければいけなくなったり、場合によっては入院ということになるかもしれないのです。

このように、本来は正常な状態が、妊娠週数が間違っていますと、異常として扱われることもありうるわけです。

よって、分娩予定日は慎重に決めなければいけないわけです。

2013-06-18 11:16:17

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