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横浜市金沢区の産婦人科、迫田産婦人科の医院ブログ

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日曜日の死闘

日曜日の死闘

かけがえのない命の誕生

あの事件はきっと忘れられないだろう。生死の闘いがおこなわれたあの日曜日の夜のことを。
あれは、まだ寒い冬の日曜日の夜だった。9時過ぎだったろうか?
病院の電話が鳴った。日曜日の夜のことである。
日曜日の夜といえば、いつもより早めの風呂にゆっくり入り、明日から始まる1週間の為にエネルギーを蓄え、様々なスケジュールを練る、またある時は、期待どおりにいかなかった週末を悔やみ、ふーっと溜め息でもついている、そんな時間帯ではなかろうか。
そんなふうに私は家でテレビの前に座っていた。その時に電話は鳴った。
ちなみに、私の場合、休みは木曜日であるため、日曜日のあの一種独特な不完全燃焼感はない。しかし、それでも日曜日の夜は、一週間の中でも最も静かな時間帯であるし、自分を見つめ直したりする、そんな時、の病院の電話であった。
一瞬緊張が走った、日曜日のこの時間帯の電話には要注意である。これは医者になってから身に付いた勘とでも言うのだろうか、嫌な予感がした。電話にでるのを一瞬ためらった、しかし義務の如く受話器を耳に当ててみた。電話の主は女性だった、つまり患者からだった。病院への電話の場合、患者本人からと、夫を含めた家族からかかってくるが、患者本人からかかってくる場合緊急を要するケースは割と少ない。ま、例外もあるが・・・・。
今回の電話の向こうの患者の声は比較的冷静であった、私は少しホッとした。これはあまり慌てなくてもよいなと思った。
その患者は自分の名前を名乗ったが、私はすぐにはそれを思い出せなかった。妊婦であった、お腹が痛いと言う。その口調からは切羽詰まった感じは無かった。ただ、ちょっと気になった、普段なら、「明日来てください」で良いのだが。私は何故か、「あ、そうですか、じゃ~、1時間後にまたお電話ください」と答えた。今になって思えば、この一言が全てを決めた。
電話を切った後も、患者の言葉が気になった。どんな患者だったかやはり、思い出せなかった、しかし、電話でのやりとりから、自分の今の状態を冷静に話していた。私は、逆にその冷静さが気になった、電話の声は申し訳なさそうにしゃべっていた。もし症状が進行すれば、途中で電話がかかるだろうと家の中で、ちらっと時計に目をやりながら待った。しかし、すぐには電話はかかってこなかった、痛みは治まったのかもしれない、私のアドレナリン分泌は急激に低下していった。そして、1時間ほどが経った。
再び電話が鳴った、同じ電話番号からである。うん!?、良くなってないのか、それとも、もう心配ありませんということか。私は少しためらいながら電話に出た。その声からは明らかに痛みが増していることが伺えた。痛みがどんどん強くなり、しかもその回数が多くなっているらしい。すぐに病院に来るように伝え、あわただしく寝巻きを着替え車に乗った。幸いにも酒は飲んでいない、車を運転しながら、あれこれ考えた、どんな患者なのかまだ思い出せない、どうも妊娠30週のようだ、妊娠30週、ひどい腹痛、胎盤剥離か?まさか陣痛?
病院に着いてからもあれこれ考えた、それから約20分程経っただろうか、その患者は現れた。ご主人と小さな男の子も一緒だった。ああこの人か!!この患者は何もなかった筈だぞ、私としてはマーク外だった。
マークというと聞こえが悪い、しかし実際、われわれ医者は日常の診療の中で患者さんをリスク分類している。かなり差し迫ったケース(患者さん)は頭に叩き込んでいる。それは産科だけではなく婦人科の患者さんも同様であるが、特に産科の患者さんは初期、中期(安定期)、後期と様々なことが突発的に起こりえる。
例えば、私は妊婦の妊娠初期の旅行を厳しく制限している。何故か?私はかつて山口県の萩で働いたことがあ。萩は御存知の通り、観光のメッカで観光客が多い、特に女性に人気のスポットである。そこで勤務していて、旅行中の妊婦さんの出血や子宮の疼痛(切迫流産・切迫早産)が多いことに驚いた。旅行は気の緩みや開放感、移動時間の長さ、夜の睡眠不足、慣れない環境、それらからくる極度の便秘や疲労等が、妊婦さんに性器出血や下腹部の疼痛などをひきおこす。このいくつもの経験からそう指示している。
このように、妊娠というのは何が起こるかわからないから、既往歴、前回の妊娠暦、分娩暦、合併症、などを考えカルテにそれとなくマークの印を書き加え、注意している。仮に最悪のケースが起こっても生命の危険というリスクは避けなければならないから。
話は戻る。
その患者さんは苦痛に顔をゆがめ、お腹を押さえており、私は、すぐに内診台にあがるように言った。疼痛のため声が出ていた。電話のときよりも更に痛みが増しているようだった。内診台に上がる時、その患者は“出そうなんです”と悲痛な声で叫んだ。その一言で全てが分かった。陣痛だったのである。内診すると胎胞(羊水を含む卵膜のことで、一般には児頭が下がってきて、子宮口が開いている時に見られる。分娩近しのサインでもある。)ができており、いままさにそれが破れんとする状態だった。妊娠30週である、私はすぐにこの地区の基幹病院に連絡をとった。その間にも痛み、いや陣痛は強くなっていて声が大きくなり、私に助けを求めた。その病院の医師に事情を話すと、母体を受け入れる病院を探すので電話をいったん切って待ってくれと言う。心の中で“このドアホ、待てるか”と思ったが、“お願いします”と私は言った。再び内診すると児頭がすぐそこに触れた。このまま連絡を待つには状況が悪すぎる、児頭が下がったままのこの状態が続けば児に与える影響は大きい。私は医者になってからのいろいろなことを思い起こした。それはほんの短い時間であったが。
私は、自分が情けなかった、明らかに逃げ腰だった。過去の様々なお産を思い出し、覚悟を決めた。すると不思議に冷静になり、勇気と力がわいてきた。今、目の前の患者は苦しがっている、いやそれ以上に小さな生命は危機にさらされている。必死にやればなんとかなる、いや絶対助ける、そう心に叫んで、“コッヘル”とスタッフに言った。
コッヘルとは手術に使う器具であるが、分娩の際に卵膜を破るためにも用いる。いよいよこの小さな生命を誕生させる。そのスタッフは一瞬、エッ?という顔をしたが、すぐさまその器具を取りに行った。彼女の緊張もピークに達しているのが分かった。
今日、たまたま、救急車で性器出血の妊婦を、とある病院に搬送した。
午後来院された患者さんには申し訳ないことをしました。1時半前に当院を出発し2時前にその病院に到着し、そこの医師に診て貰い入院となった。当院に再び戻ったのは3時半前であった、患者さんが10名ほど待っていてくれた、有り難かった。朝から食事を摂っていなかったが、昼飯も食わずに、そのまま午後の診療に入った。待っていてくれた患者さんに元気をもらった。本当にありがとうございます。 私は、卒業後、大学病院に半年勤務し、関連病院に赴任した。そこは小児科がなく、新生児の対応も我々産婦人科がおこなっていた。そこで新生児のイロハを学びました、ここでの経験は私の新生児救急治療の基礎となった。このベビーはどのくらいの管理が必要なのか?ここで診ていて大丈夫か?すぐにも救急搬送しないといけないのか?新生児の病態は独特で、さっきまですこぶる元気だったのが突然激変する。一瞬の判断ミスが取り返しのつかないことになる。
その病院で病院当直をしていた時だった、近くの小児科の先生からの紹介で発熱の幼児の点滴治療を依頼された。早速点滴の治療を開始したが、どうも様子がおかしい。発熱だけのせいなのか?どうも気になる。そこで小児科を持つ基幹病院に連絡をとり、救急車でその子を搬送した。
そこの小児科医は淡々と診察し、病棟に入院の指示をした。私は礼を言い病院に戻った。それからしばらくしてその小児科医に会った、すると私を見るなりその小児科医はすっ飛んできた。“先生ありがとう、あの患者ライ症候群だったよ、血液検査をしたらとんでもないことになっていて、もう少し遅かったら危なかった、先生ありがとう”と興奮気味に話した。なんかおかしい、様子が変だ、ちょっと違う、このセンサーは医者にとって最も重要である。

2013-06-18 11:28:56

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