横浜市金沢区釜利谷東『金沢文庫駅』

MAP
045-783-2200

横浜市金沢区の産婦人科、迫田産婦人科の医院ブログ

コンテンツ
求人情報QRコード

ある麻酔科医

ある麻酔科医

ある麻酔科医

金沢

今から10年前。

後ろから怒鳴る声が聞こえた、“お前、何を言っているのかわかっているのか”。

病院の廊下に響き渡るような大きな声で、私の上司は怒鳴っていた。

先ほど、病棟会議があったばかりである。出席したのは、産婦人科医、産婦人科担当看護師、助産師、それと麻酔科医であった。

私が勤務しているこの病院の昨今の分娩数の減少は憂慮すべきものがあった。医師、看護師、助産師、みんな分娩数の減少に歯止めをかけるため必死に働いていた。

中国地方の田舎のこの都市は高齢化が進み、若い人の人口比率が減少していた。当然、分娩の数もそれに比例して少なくなっていた。企業努力といってもいいだろう、みんな頑張っていた。しかし、若い人が少なくなっていくのはどうしようもなかった。広報活動、様々なサービスなどあらゆる手を尽くしてはみたが効果はあまりあがらなかった。

日本の経済がまさに中央集権化していく狭間の中で地方はその存在意義を失いつつあった。若い人は故郷に戻らない、いや戻りたくても仕事がない。親、自らが子供にUターンを押し留めるようになっていた。地方は高齢化が進み、子供が少なくなる、人口の偏在化が顕著になっていた。

若い女性の田舎離れにより、分娩数は減少の一途を辿り、スタッフ全員がどんなに頑張ってもそれを食い止めることはできなかった。

そんな中、ある案が持ち上がった。それは、和痛分娩をやろうということだった。和痛分娩とはご存知のように、腰に麻酔をし、陣痛を和らげようというものである。その話は私の知らない間に進んでいた。

私は当時、産直(産科待機、分娩や救急患者を診る仕事。別に院内には居なくても良かった。何故なら、私の官舎は病院の目の前にあり、その距離も3m程しかなかった。当然、どの医師よりも病院の近くに住んでいた。)を月の半数以上こなし、かつ、病院全体の救急当直も月に数回やっていた。産婦人科医の異常な労働環境は別に今に始まったわけではない。地方では大都市よりも早期に分娩数の減少が始まり、病院内の稼ぎ頭であった産婦人科の地位は落ち、不足する産婦人科医師の補充もままならなくなっていった。

また、そういった現状を悟った学生たちの産婦人科離れも顕著になっていき、産婦人科医師数の減少が始まっていた。私の大学の教授はこのことに早期に気づき、県などに陳情したが無駄であった。

今日の産婦人科における様々な問題は実はもう10年以上も前からおこっていたのである。

和痛分娩をやるらしいという噂は私の耳にも入っていた、助産師達も私に“先生知っています?”とたびたび聞いてきた。よくあることだが、大事な話は、現場で働いている人間には一番後である。そして、大体、既に結論はでている。いわゆる、事後承諾というやつである。

和痛分娩に関して全否定するつもりはさらさらない。分娩が遷延し、陣痛で苦しんでいる妊婦さんをみるとこちらも耐え切れないことがある。そういったケースでは和痛も良いだろう。しかし、分娩、言い直せば、お産、は太古の昔からパターンは同じである。陣痛が発来しないと分娩は始まらない、この何時間にもあるいは何日にも亘る痛みがあって分娩が成立する。この試練を乗り越え女性は母となっていくのである。古いなー、女性蔑視じゃない?男の身勝手よ、先生も経験したら分かりますよどんなに辛いか、と声が聞こえてきそうですが。

助産師諸姉は自然分娩を好んでいた、手作りとでも言おうかそんなお産を是としていた。私も考え方は同じだ、医者がしゃしゃり出ることがないお産がベストである。薬など使わずに、古典的なお産が可能ならば最良である。故に、今回の和痛分娩の話には賛同するものが皆無であった。助産師諸姉の反発はそうとうなものがあったのである。特に私見ではあるが、分娩数アップを図るためのコマーシャル的な臭いがしていた。

そして今回の病棟会でその議題が出たのである。噂は本当であった。上司から経緯、目的、等の話があり、

麻酔科医からはさらに具体的な説明があった。ここでは詳しいことは省略するが、要するに、今まで以上に分娩管理が重要となるし、アクシデントも起こりえる。ここで誤解をされては困るので一言、今現在、和痛分娩をおこなっている施設は多い。ご苦労は容易に想像できる。私が勤めていたその病院でも既にやっていたし、私も硬膜外にて和痛を行っていた。しかし、対象は遷延分娩(分娩時間が長くなる)で疲労がはげしくなった場合とか、陣痛に対し恐怖を抱きパニックになる場合などであった。我々が本来やるべきことは、かっこつけるわけではないが、妊婦を励まし時には叱る事もあるが、一緒になって頑張ることが大事であり、それでも駄目なら麻酔を選択する、そういうことではないだろうか。

私は、その麻酔科医に食ってかかった、もう忘れたがほとんど喧嘩であった。しかし、彼は冷静であった。今思えば、どこかで私の気持ちを分かってくれていたような気もする。そして、私も彼の気持ちが痛いように分かっていた。お産というものがどんなものであるかということを、彼は私よりも知っていた。

これからお産をされる方に一言、お産はほとんどが特に問題もなく終了し、元気な赤ちゃんが生まれてくるものであります。心配かもしれないが事実です。しかし、中には厳しいお産もあります、これも事実です。厳しいお産にならないためにも、定期的に妊婦健診を受けてください。お願いします。

初めての妊娠の際は、みなさん注意深くかつ慎重に振舞われます。お腹の赤ちゃんが元気なのか?異常なく育っているのか?無事五体満足に生まれてくるのか?を心配されます。それでいいと思います。それが普通です。

私がその話を聞いたのはいつだったかは忘れた。

彼(麻酔科医)の奥さんは、分娩時の脳出血で亡くなっていた。彼は当時ICU(集中治療室)に勤務していて、奥さんは彼の病院に搬送されてきた。

懸命の治療にもかかわらず、奥さんは帰らぬ人となった。彼のそのときの気持ちは、痛いほどわかる、いや本当は彼にしかわからない。幸いに子供さんは無事生まれ、今は20歳を過ぎた。

私も同じような経験がある。人が死ぬということがどういうことか、残念であるが、母の死によって知らされた。母の死によって私は産婦人科を選んだ。

彼の和痛分娩に対する思いは非常に奥が深かったのである。それを私は充分知っていた。病棟会議の後、彼はいつもどおりに私に接してくれた。いつもクールで冷静沈着であった、そんな彼を今でも尊敬している。

疼痛に対し厳格な麻酔科医とお産に対しあくまで自然を好む産婦人科医、一緒に働けて幸せであった。今は彼がどこにいるかは知らない。だが、あのクールな男は更に凄みを増して働いていることでしょう。

そして最後に失礼な発言を謝りたいと思います。

辣腕麻酔科医へ

2013-06-18 11:21:22

院長の独り言   |  コメント(0)   |  トラックバック (0)

 

コメント

お名前
URL
コメント

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sakodasanfujinka.com/app/TrackBack/receivetb/SID/x8323330/EID/5

トラックバック記事一覧

ページトップ